こもり女子Polar Star

ひきこもり女子としての色々。

五月の精神不安定

 

年中どこかしら体調が悪いことにももう慣れましたが。

ここ数年間はじっと、自分の体調やら精神状態を観察する癖がつきました。
そうすると、年間を通してだいたい同じパターンだな、というのが分かってきます。

世間で言われてることと同じであったり、
全然違うこともありますが。
そういう時は、まずは自分の体感を最優先です。


一年間のパターン

自分の中では、一年の中で、肉体が不調な時期と
精神が不調な時期、というのがあります。

 

肉体の不調は前の記事にも書いた冬季鬱とか。
この中には精神状態も含まれますけど。

というか、最初には訳がわからず不調で精神状態も悪いと思っていたのが
あ、体が不調なんだ、とちゃんと認識すると
それに対処して精神状態は落ち着く、という感じ。


それ以外には花粉症とか。
6月頃の梅雨の時期も不調になりますし
夏はまぁ比較的元気ですけど。
秋口からはまた冬季鬱、、と
いったいいつ元気やねん、と突っ込みたくなりますけど…


それ以外に、個人的に苦手な時期というのもあって。

一つは、だいたい年末年始。
冬季鬱のいちばん底の時期に重なって、一年の切り替わり、という環境変化、
すごく苦手です。心も体も辛い。

あとは6月頃も辛いですが。
4月頃の春先も微妙に。
とか、挙げたらまぁキリがないのですが。


5月は危険な時期

そして、個人的に結構、苦手というよりは
「危険」なんだよな、と感じているのが、この5月頃の時期です。

 

世間ではゴールデンウイークの大型連休。
世間が浮かれる時期が、居た堪れなくて辛いんか?と思ったりもしますけど。
何年か観察してきて、どうやらそうじゃない模様です。


この頃の不調は、主に五月病と言われます。

五月病って、4月に進級とか進学とか引っ越しとか異動とか
そういう社会的な環境の変化があって、
それに適応するのに頑張って、
疲れがたまってきた時期・・・

というのが、五月病の定説だと思うのですが。


ひきこもりにそんなの全く関係ねーーー。

 

社会的な環境とか、ノータッチ。
ここ何年も、自分の環境としてはもう。
社会的な変化の影響というのはほとんど、受けていないと思っているのですが。


ということは
ひきこもりが五月病、はありえん。

と思うじゃないですか。


思ってました。

 

5月の空が美しすぎて泣けてくる

5月は新緑が美しく、

天気もいいし気温もちょうどいいし、すごく良い時期です。

自然の風景を見てれば、幸福感しかない。


なのに。

幸福感しかない。
 →これが転じて、

あれ?操転する?
みたいな気配が時々あります。

なんかやたら苛々したり、感情が高ぶったり。

 

と思えば、この抜けるような青空があまりにも美しくて
美しすぎて、哀しくて、泣けてくる…
みたいな。笑

ちょっと不可解な精神状態になります。
情緒不安定。

何もないのに。

 

そう、環境的な変化とか何もない、
ほぼほぼ何の変化もない、
平坦で低空飛行な日常を過ごしているのに。

気圧が低いわけでもなく、
天候の悪さの影響でもなく。


上に引っ張られる

そして、この時期のもう一つの不可思議さなんですが。

たぶん他にこんな人いるか知らないんですけど。

 

「上から引っ張られる」
感じがします。

…意味不明で申し訳ない話なのですが。

なんだろう。
身体の中からなんか抜けそう、引っ張らないで!
みたいな・・・

 

ともすれば、上に引っこ抜かれそうな、
変な感じがします。

この5月の時期。

 

何が、っていうと、説明はできない感覚。

意識?
魂?
エクトプラズム?
知らん。。

 

この感じが、まるで空に引っ張られるような。

それって、気圧が急激に上がる(?)
この時期特有の感覚、なのかなぁと
個人的にずっと思っているんですけど。

これが、身体で感じているうちはまだ、いいんですけど。

意識して踏ん張っていないと、
足元がふわふわ、おぼつかないような、
そんな感じにもなります。


だけど天気は良くて、気分が落ちているわけじゃないので
テンションはどっちかというと上がっている方。

ともすれば、上がりすぎる。
はっちゃける、みたいな。


これはもしかすると、
連休にかこつけて遊んでしまえば、やり過ごせるような気もしていますが。
あんまり実行はできないですよね。

というか、5月いっぱいぐらい続く感覚です。
個人の体感としては。

 


空に触れたい

そして。
これが、精神状態に強く出る時があります。

そうすると、
空に触れたい。みたいな気持ちになる。
空に帰りたい、というのか。

ちょっと危険なやつ。
理由もなく。


もう遥か二十年以上前になりますけど、
この時期に、空に旅立たれた大好きなミュージシャンがいました。

もしかするとその影響が残ってて、
毎年そういう気持ちになるのかなぁと
思っていた時期もあります。

もう何も意識しなくても、
この5月の空は泣けてくるみたいな気持ちがある。
意識の深くに染み込んでしまっている。

だけど、その悲しみみたいなものは今はもう、
意識の上ではあまり残っていなくて、
それはその方の人生、自分の人生は自分の人生、、と
割り切ってはいるのですが。


そしてたぶん、この変な感じを感じるようになったのは、
その出来事より遥かにもっと後、
たぶん、個人的に精神的な調子を大きく崩してから、だと思います。

だからたぶん、
誰でもなる、という感覚ではないのだろうなーと、思っているのですが。


一度、大きく調子を崩したら感じやすくなるのか。

それともずっと気づいていなかっただけで、
毎年そんな感じを無意識では経験していたのか。

その辺は、はっきりとは分からないんですが、
もしも、同じような体質や気質や感覚の人がいたら、
これは結構危険な時期なんじゃないかなぁと思っています。

 

自然のサイクル

この時期、気づかずに精神状態が不安定になる人が、
もしかすると多いんじゃないかと。

それってたぶん、いわゆる社会的な環境の変化、
というやつだけではない気がしてます。

 

個人的には、これは気圧が上がっていく影響、なのかなぁと。
あまりその辺、調べても詳しく出ていないので間違っているかもしれませんが。

気圧が低い時が不調になる人が多いというのは
認知されてきていますけど。
気圧が上がっていく時の不調、というのは、
あまり言われていないかも?と思います。
単純に季節の変わり目、といえば、それまでの話ですが。


春先に芽吹く立春の頃
その芽が育ち始める、春分の時期を越えて、
五月は若芽時
植物が一気に育つ、エネルギーが急激に上がる時期、です。

そういう自然のサイクル、そういうものの影響だと思えば、
たとえ家にひきこもって何もしていなくても
なぜか影響を受けてるってこと、あるみたいなんですね。

そういう意味不明な不調、
そういうものに翻弄され続けてる人も、
もしかすると多いんじゃないかなって。
なんとなく思ってます。

だから、何もしていないから、
疲れようがない、辛いことなんかない、
と思うのも少し間違いだったりする気がします。たぶん。


まぁ何もしていないからこそ、気づく変化なんですけども。

知らずに、気づかずに、疲弊する人生も、疲れるなって思うので。

季節ごとの適切な対処、大事かと思ってます。
まずは認識するだけでも。

 

人間もただの自然の一部

こうやって書くと、なんか、人間が植物みたいに思えてきますけど。
(ここからは駄文)

人間も自然の一部、とみるのは東洋的な考えですが。
森羅万象とかいうやつ。

今の社会システム、というやつは
「人間だけ」を基準にして作られてる西洋的な考えだと思います。

どっちがいい悪いではないんですが
「自然を大切に」と言うならば、
その自然の中に組み込まれてる人間も大切に、なんて思います。


「人間様」から見た、自然を大切に、じゃなく。
自然を搾取するためだけの大切に、はなんか、あまり興味はなくて。

それってただ、「人間様」が生き延びるために
必要な資源を確保し続けたいだけ。利用したいだけ。
そんな自然保護って。とても西洋的というか。
システム的というか。エゴというか。

それってたぶん、
役に立たない/不要なものはどうでもいい、排除する、って考え方の裏返しな気がします。

役に立つものだけ大切にする、囲い込む。
そういう考えが当たり前だと、とても生き辛い。
自分がいつも不要なものの立場だから。笑


人間も「ただの」自然の一部なんだよね~って
ともすれば、人間も「ただの」

もしかすると不要な、
地球とか大自然からしたら塵でしかない、無用な生き物。
かもしれなくて。

ただこのサイクルの中に存在するだけの、
ただのひとつの生き物。
何かが存在していることに、特に深い意味はなし。

そんな風に思えると、少し楽になることもあったり

そしてそんな風に思ってくれる人が多くなると、
ひきこもりが不要な人間、という考え方も少なくなってくれるかなぁなんて。
少しだけそんなことを思います。


なので、結構意味不明なことを思うままに書いてみましたが
理解してくれる人がいるだろうか…
いてくれたらとても嬉しいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。